2022.03.9
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自己紹介

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初めまして、木村聡といいます。

昭和56年に札幌で生まれ、今日まで札幌で暮らしています。

小学校の1年生まで白石区で過ごして、一軒家の購入を期に厚別区に引っ越しました。両親の他界により相続し、41歳となった今も、夫婦・子ども4人とこの家で暮らしています。

学生時代

建築の専門学校を通い、在学中から父親の紹介で林業を母体とした工務店でアルバイトをしていました。その工務店の設計士は絵が上手で手描きの図面やスケッチでお客さんを喜ばせていましたし、スタッフにもとても信頼されていました。未だに僕が手描きのプランにこだわるのは、このアルバイト時代の設計士の影響があったと思います。

20代 設計事務所時代

専門学校卒業後は、その設計士の紹介で設計事務所に就職し、ドラフトマンとして20代を過ごしました。作図した建物は、鉄骨造や鉄筋コンクリート造のマンションや公共建築物、事務所・銀行やショールームなど大きな建物が多かったです。

20代の終わりを前に一級建築士を目指し資格学校に通い始めました。結果5年も通っていましたので(笑)、高校や中学時代よりも長い事になります。製図の先生は今でも年賀状のやり取りをしていて、その先生も手描きのスケッチが上手な、いわゆる建築家でした。建築的思考に触れたのも初めての事で、将来の独立・木造への移行・住宅への興味が湧いたのもこの時です。

資格を取るための学校ですが、友人を含めて得た体験は料金以上に大きかったかな?と思いました。通わないで受かるには越したことないのですが。

30代 工務店時代

一級建築士取得後30代は、木造・住宅を中心とした工務店に在籍して、設計者として建築業務全てに従事してきました。35坪前後の家ばかりですが、施主と顔を合わせる、現場の職人と打ち合わせする、ショールーム、銀行、司法書士など関わる人数が桁違いに多く、それらをまとめる建築士の仕事にやりがいも感じなから、難しさ・責任の重さをそれ以上に感じてきました。

現場を経験したのもこの時からです。今までは図面が成果品でしたが、大工さんや職人さんが作って初めて建築になります。僕に図面とは何かと教えてくれたのは現場の人たちで初めは大工さんが怖すぎて笑、現場に行くのも嫌でしたが10年経ち、今でもその大工さんとは仲間として一緒に建築をしています。

独立 世代交代に向けて

40歳になり、40棟前後の実績と一連の業務に手応えを感じ、工務店とは倒産してはいけない、作家性を確立していきたいと奮起して、勝栄に建築部(設計・施工)を立ち上げる事にしました。僕のわがままを聞いてくれた、代表の伊藤敬三には感謝にたえません。

幸運な事に立ち上げからお声がけ頂き、独立後令和4年の春に2棟の着工を予定しています。可能な限り図面に集中して、良い建築とは何か?施主のために動くことはどういう事か?地域に根ざすとは?を自問しながら、日々活動していきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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