2023.06.2
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  • 姿勢

映画『怪物』を観て、『家づくり』に思う事

  • 坂元裕二
  • 怪物
  • 是枝裕和

人は人を平面でしか見れないし、平面しか見せられない。

2023年に公開された映画『怪物』は、同時系列が違う視点(カメラ)で3本繰り返される構成になっていまして、2本目、3本目と進むにつれて物語が多面化されて、思い込みや先入観から人は逃げられない、自分や他人に怪物がいる事を認めつつ、何とか幸せへ進もうとします。そこに自分と他人の交わりがあるのか?というメッセージを僕は受け取りました。

タイトルから既にミスリードが始まり、ステレオタイプにハマっていく演出や演技に魅了され、感情が揺さぶられつつも、ラストシーンは日本映画史上でもあまり見られない素晴らしい映像となっています。多くの観客が映画館からの帰り道に、自分の視野の狭さに落ち込んだと思いますし、自分や家族や仕事の事、『どうすれば幸せになれるのかな?』色々な事を思い巡らせた事と思います。

出来る限り平面を集めて、多角的に家族を考える。

勝栄は工務店ですので、設計から施工までトータルで家づくりを提供します。その中で僕の根っこは『設計者』ですので、『怪物』を見て、改めて心掛けている事を整理したいなと思いました。

縁があり、家づくりについて最初の打ち合わせの席に座り、僕が質問して住まい手が答える、そんなヒアリングを繰り返しながらプランを練りますが、その質問から既に思い込みや先入観が始まっているんだと、つくづく思います。僕がいくら「あの手この手」で質問を工夫して、回答の裏だったり本質を見抜こうとしますが、相手が僕だけなら浅くても深くても1面でしかありません。住まい手も、自分、家族、仕事など家の中だけでも、自分の1面を毎日毎時間めくっているからです。

ならばと、できる限り基本計画の段階で、他の1面を見ていくしかないんだと思います。ショールームでアテンドの質問に対するリアクションや、夫婦の何気ない事を相談する内容に聞き耳を立てたり、たまには喫茶店で打ち合わせをして注文するドリンクを知ったり、出来れば親御さんに挨拶して、あれこれ理由を付けて職場まで顔を出して、できる限り住まい手の1面を何十枚も集めてそれを設計図にまとめて現場に伝えます。

人は十人十色。住まい手に寄り添った唯一無二の家づくりをするんだ!と意気込むと同時に、大事にしなければいけないのが『怪物』の中のセリフにありました。

「誰にでも手に入れられるものを幸せというんだよ」

映画『怪物』より、校長先生のセリフ

これも「そうだよな」って本当に思います。住まい手に寄り添った家を目指しつつも、誰もが住みたいと思ったり、落ち着くと思う家。オーダーメイドだけど皆を迎える家。矛盾している様でみんなが腑に落ちる家を、変に言葉で答えを見つける事なく「探し続ける」事そのものが設計者が家づくりに参加する理由なんだなと思います。

設計図は平面でしかないので、身振り手振り時間を掛けて。

半年以上かけて完成した設計図も結局は平面でしかありませんので、工事でもやはり大工さんだったり現場の人に、住まい手の人となりを見て欲しいですし、住まい手が何を大事にしているか分かって欲しいと思っています。

どちらか1つなら地鎮祭よりも上棟式を、面倒でも缶コーヒー片手に現場に顔を出して欲しい。最後の方は完成を惜しむほど、現場を好きになって欲しい。

完成もそうですがアフターメンテナンスでも、僕だけではなくて現場の人と顔を合わせる回数が多いほど変わって来るものがあるんだと思います。

映画『怪物』の感想。多様性と平等性について。

3つのチャプターを見ていくにつれて、自分の思い込みや偏見を思い知らせれて反省はしつつも、ラストシーンで光を抜けた2人の子どもを見ていて「もう自分には無垢なリアクションは無理なんだ」と強烈に感じました。

『誰も知らない』が上映されたのは20年も前で、あの時も映画館で大きな感動を味わいましたが、『誰も知らない』ではそれでもたくましく生きていく子どもの視線で、『怪物』では前2つのチャプターの大人の視線で映画を見ていました。『奇跡』の子ども達の冒険も、微笑ましくも感動した覚えがあります。今思えば『奇跡』のとき僕は、子どもと大人の間にいたんだと思います。

20年経って自分も親になって当たり前と言えば当たり前ですが、あの2人と並走しないで、大人2人と一緒に僕も追いかけています。そこから逃げるように光と緑の中を走り抜ける2人の子どものシーンが天国の様に美しすぎて、最後まで大人と子どもが再開しない事に、大人として悲しくも止められない涙が流れ、整理出来ない感情があふれます。

この映画はLGBTの話がありましたが、今、世間は「多様性を認めよう」という風潮があるかな?と思います。もちろんそうだ認めよう!と思うのですが、僕が子どもの頃は差別をなくそう平等でいよう!という風潮があったかな?と思います。

少し前、小学校のかけっこは「手をつないで一緒に走ろう」だったのが「男女をわけないで一緒に走ろう」と変わっているようです。ここであれ?この多様性と平等性って同時に成立するんだっけ?って思い、ChatGPTに聞いてみますと

多様性と平等性は、一般的には互いに補完し合う関係にあると言えますが、その成立は状況や文脈によって異なります。

多様性は、異なる背景、経験、意見、能力、文化などの要素を包括する概念です。社会や組織が多様性を尊重し、受け入れ、促進することは、創造性やイノベーションの源泉となる場合があります。さまざまな視点やアイデアを持つ人々が集まることで、より幅広い解決策や意思決定が生まれる可能性があります。

一方、平等性は、すべての人が公正に扱われ、同じ機会やリソースにアクセスできることを指します。平等性は、個人やグループが差別や偏見の対象にならず、公正な待遇を受ける社会的な状態を目指すものです。

多様性と平等性は、互いに関連し合うものですが、実際の社会や組織では、さまざまな要因が絡み合って複雑な関係を持つことがあります。たとえば、多様性がある組織でも、実際には不平等な待遇や機会の偏りが存在することがあります。逆に、平等な社会や組織でも、一定の規則や標準によって多様性を制約する場合もあります。

したがって、多様性と平等性の両方を実現するには、関係者が公平さと包括性を重視し、差別や偏見を排除するための努力が必要です。社会や組織は、多様性を尊重しながら、平等な機会や待遇を提供する制度や政策を設けることが重要です。これには、法律や規制、教育、意識改革などが含まれます。

短期的には、多様性と平等性を完全に達成することは難しいかもしれませんが、長期的な目標として、より公平で包括的な社会を築くための取り組みを継続することが重要です。

https://chat.openai.com/ より

なるほど、そうだよねと思うのですが、『怪物』のラストシーンが、大人から逃げる子どもの様に思えて、違いは認めて関係を平等にしつつも、もう分かり合う事はない「一時的な冒険では埋められないよ」というメッセージに思えて、それが今までに見たことがないほど美しい映像で、取り残された僕は映画館から出るのが難しいほどでした。

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